| 2004/7/21
7月豪雨禍・放送局は防災機関でないのか?
太平洋側では連日のように猛暑が続き熱中症で倒れる人が出る一方、日本海側では新潟、福島、福井を中心に記録的な豪雨で浸水被害が広がり、新潟では一週間以上たったいまも避難生活を余儀なくされている人々がたくさんいます。
阪神淡路大震災を体験し、災害報道にあたったひとりとして、いま自分は被災地の人々のために何ができるのかを自問しながら、特にテレビの災害報道を注視していました。
被災地の地元放送局のテレビ報道は直接見るすべがありませんでしたが、結論からいうと、東京発のテレビの災害報道は今回もまた“ドラマ”仕立ての構成に終始していました。
河川の決壊、濁流のクローズアップ、全壊した家屋、床上浸水の家庭の様子、命からがら避難する人々を次々と映し出すだけなら、映画手法を模倣した旧態依然のテレビ映像編集手法という批判で済ますのですが、その映像とともになぜ、おどろおどろしい音楽をわざわざ流さなければならないのでしょうか。しかも阪神淡路大震災でも大きな問題になった被災者の「心のケア」についてほとんど配慮しないインタビューの羅列。被災直後は気持ちが昂ぶっていても、メディアが去る頃から被災者は喪失感や孤立感を深め、場合によってはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を強めることが、多くの臨床精神医学者から指摘されています。街角インタビューのように安易に被災者の声を聞いて、いったい誰のための、何のための報道になるのでしょうか。
連休が過ぎてボランティアの数が激減したと地元の新聞が伝えています。東京発の報道も激減しました。復旧・復興へ向けて被災地はこれからが正念場なのです。いまこそ被災地にどんな救援の手が差しのべられ、被災地の人々はどう立ち上がろうとしているのかをキメ細かく報道してもらいたい。それが被災した人々に対する「安心報道」であり、全国に対して災害を乗り越える教訓になっていくのだと思います。
さらにもうひとつ、目が点になるような東京発の報道がありました。それは新潟県三条市の避難勧告に対する、ある放送局の検証でした。
「避難勧告は聞いていない」「避難勧告を聞いたときはもう浸水がはじまっていた」という被災者の証言とともに、市長や当局のインタビューを交え、大雨のなかでの広報車の拡声器の声の大きさ、防災無線の有無まで取材しながら、地元放送局の避難勧告速報についてまったく検証していないのです。行政からの避難勧告に地元メディアはどう対応したのか、まったく“知らぬ顔”といえる構成でした。
放送法第6条をしっかり読んでほしいと思います。
放送事業者は「暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他の災害が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をしなければならない」と規定されています。
今回の水害でも、災害弱者と言われる高齢者が大きな被害を受けました。避難勧告の遅れで“人災”になったと言う前に、防災・減災機関としての放送局の役割をしっかり認識し、まだ避難所で不安な日々を過ごす人たちなど、被災者の減災のために有効な報道を継続してほしいと考えます。
ちなみに神戸市からは消防局の緊急消防援助隊員39名が福井県に派遣されたほか、ゴミ収集車などが現地でサポートにあたっています。
また神戸のボランティアグループが被災地に「タオル」を送る運動をはじめています。
●震災がつなぐ全国ネットワーク事務局(神戸市兵庫区中道通2−1−10)
TEL 078−574−0701
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