2006/12/15

“木に竹を接ぐ”ような美術館行政…

12月定例市会は、15日の本会議で今年度予算の補正と、ファッション美術館に「神戸ゆかりの美術館」を設置する条例案などが上程されました。

六甲アイランドにあるファッション美術館になぜまた別の美術館を設置するのか、市長・助役の考えを質しました。質問骨子は次のとおりです。

住民投票☆市民力議員団を代表しましてただいま上程されました第85号議案「神戸ゆかりの美術館条例」と「神戸ファッション美術館条例の一部改正」について質疑を行います。

いまから30年以上も前になりますが、私がテレビの仕事を始めた駆け出しのころ、「もう10年もしたら、神戸は絶対に変わりますよ」「見ておいてください」と、眼を細めて、自信たっぷりに話をしてくださった方がいました。

昭和48年のことでした。神戸市が「ファッション都市宣言」をした年です。当時の宮崎市長に初めてインタビューして、たしかオイルショックの大変な時代でしたが、とても夢のある構想をうかがって、これは単なる「産業構造の転換」というより、いまから考えると、まさに都市の「ブランディング戦略」だったと思います。

宮崎市長がおっしゃったとおり、ポートピア81の大成功に続いて、ポートアイランドにはアパレルメーカーの集積がすすみ、エレガントで、コンサバ系の神戸ファッションは少しずつ全国に知られるようになっていったと思います。

一時的にはアパレル業界の低迷もありましたが、このところメディアと一体になって「神戸コレクション」が一世を風靡し、内外から改めて、神戸ファッションが注目されています。

こんな流れのなかで、震災の年にオープンした「ファッション美術館」は創業期の集客力が落ちて、低迷期に入り、すでに再構築検討委員会からは
「ファッション産業に関わる人材の育成」
「情報発信力の強化」
「集客力の向上」
という3つの観点から総合的なファッション拠点としての再構築が提言されています。

指定管理者制度も導入して、さあ、これからどんな攻めの美術館運営をしていくのかという矢先に、なぜファッション美術館に「神戸ゆかりの美術館」なのでしょうか。

なぜファッション美術館に小松益喜さんや、鴨居怜さんの絵が並ぶのでしょうか。小松益喜さんといえば異人館画家です。例えば、小松さんの絵は異人館にコーナーを作って展示するとか、神戸ゆかりというなら、おもてなしの一環として、神戸空港に展示コーナーをつくるとか、あるいは博物館が所蔵して、特別展をするとか、インターネット美術館を開設するなど方法はいくらでもあると思います。改めて今回の条例制定の趣旨について見解を伺います。

これに対して、市長や助役からは「ファッション美術館の空きスペースを有効利用したい」「小磯良平美術館が近いのでリンクさせたい」「当初は旧南蛮美術館を考えていたが、老朽化が激しく止むなくファッション美術館を選定した」という木に竹を接ぐような答弁が相次ぎました。

行政が考える「文化行政」とはこの程度なのでしょうか。文化創生とはほど遠い発想です。